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「宇宙戦艦ヤマト後編」

 
       
    今回は、「宇宙戦艦ヤマト」についての話の続きです。 「宇宙戦艦ヤマト」ですが、内容を知らない方は、ほとんどいないと思います。大人気だったので、テレビ、映画と続編がいくつも製作されました。内容的には、最初の作品が一番面白いと思います。 小学生や中学生の頃、不思議と物凄い記憶力や理解力が出る時があります。勉強にではないですよ!怪獣の名前や身長、体重なんか片っ端から覚えていたりします。私もカメラに興味をもった時、ニコンからキャノン、ミノルタ、ペンタックス、オリンピックのカメラの名前、性能なんか、片っ端から覚えていました。その頃は、ライカやハッセルは、頭にありませんでした。軍艦や戦闘機に詳しい友人もいました。 「なぜ、ヤマトは、出撃したのか?」当時、14歳、15歳で論争しました。子供なのに、軍事評論家になってしまうのです。「宇宙戦艦ヤマト」の人気から戦艦大和に話が繋がってしまったのです。実は、誰が言っていたのか覚えていないのですが、その説が、私は正しいかな?今は、そう思っています。「大和は、沈める為に出撃したんだよ!敗戦は、もう必至です。大和は、当時の日・u棍「吏・w)ハイテクノロジーの結晶です。渡す位なら沈めた方が日本の為と考えたんだよ!」中学生の時、こんな事言ってたのいたんです。残念ながら私ではないですよ!大和を渡すという事は、そのテクノロジーの全てを渡す事です。大和のテクノロジー、結構使われたんですよ!〇〇7、ジェームスボンドも利用したホテルニューオオタニの回転レストランは、大和の砲台のテクノロジーが使用されています。日本が、英国から造船王国の座を奪う事が出来たのは、大和のテクノロジーを利用して、巨大タンカーを造船する事が出来たからなのです。中学生の頃の私では、理解出来なかったです。かなり月日が流れて、ふと思い出しました。私は、大和は、沈む為に出撃したと思っています。犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。 私は、戦争に対して、肯定的ではないですよ!私の父親は、もう30年も前に亡くなっています。55歳で亡くなりました。私の父親は、戦争体験者です。みんな忘れてしまいました。若い人は、知りません。悲しい戦争、茶色い戦争があった事を!私の父親は、シベリアに抑留されていました。仲間達が極寒の地で、次々と土に還っていったそうでku檮@・・w)そんななかで、一つの事を夢みて頑張ったそうです。「生きて日本に帰って、生のジャガイモを腹一杯食べるんだ。」最後の引き揚げ船で、帰って来たと言っていました。ほとんど骨と皮だけの身体で帰って来たそうです。身体を壊していて、暫く養生していました。ある程度、身体が落ち着いて、やっと生のジャガイモをかじったそうです。「こんな物を腹一杯食べたいと思っていたのか!そこまで、ひもじかったのか!そして、生きて日本に帰って来たんだと心底泣いたと言っていました。」私達には、理解出来ない極限の世界だったんですね(*_*)。戦争は、絶対に悲劇です。 「宇宙戦艦ヤマト」の話から変な話になってしまいました。次回もお楽しみに!
 
         

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